苦しかったときの思い出

そろそろ食中毒の季節だと言うので、そんな記事を読んでいてふと思い出しました。

そのころ、一家の事業が全然進展せず、来る日も来る日も、相手が良い返事をくれるのを待って、家族はそれぞれ近場でバイトをしていました。
日々はそれでどうにかなっても、借金の毎月を返せませんので、私が仕送って、本当に苦しい生活でした。

仕事先からの電話が入るかも知れないので、父だけは家に控えていて、なにやら代書みたいなバイトをしていたようです。
しんどいばかりでいくらにもなりませんでした。

母も兄も、仕事が入ってこないのでやむなく外へバイトに出ていました。特に母はお嬢さん育ちで、外で仕事をすることにまったく慣れていませんでしたが、ボスのような女性にあれこれ言われながらどうにかやっていたようです。

離れている私は心配でなりませんでした。

しかしたまに、私が帰郷したときなど、適当に都合を付けて家に家族が集まれるようにしていました。
そんなときくらいはと、ちょっと弾んで、母があれこれと手料理をしてくれました。

しかしそのとき、いつの間にか母が手に怪我をしているのを見つけたのです。全然気が付かなかったそうです。もしかしたらバイト先で怪我をしたのかも知れない。

そういうのは、ちょっと食中毒が心配だと兄が言い出しました。熱を加えているのだから大丈夫と言っても、二人はかなりの心配性です。

心配しながら食べるよりはと、せっかく作ったものを結局捨てることになりました。その時の母の残念な悲しそうなしおれた顔がいつまでも私の頭に残っています。三人は粗末なものばかり食べていましたし、私が居るので、楽しいひと時を予感していたのです。

結局私たちは、適当に粗末なものを家族で食べました。

そんな時代からも、およそ十年以上同じ生活を続けました。なかなか事業を諦めきれなかったのです。

始めた父と兄はしょうがないとはいえ、巻き込まれた母は本当に気の毒でした。

今振り返っても、辛い日々だったなあと思い出されます。

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